2011年8月20日土曜日

BRCJ2011年夏タイ・ビルマ国境訪問 Vol.8

BRCJ2011年夏タイ・ビルマ国境訪問 Vol.8
【8月19日(金)】
メータオクリニックでA先生から歯科、眼科、鍼灸の病室と、新しくできた子どもの部屋を案内していただきました。

いつのもように献血をしてメーソットを離れました。

最終目的地のチェンマイではビルマ救援センターの代表と会い、洪水の被害やシャン州、カチン州の避難民の状況を聞きました。


【8月20日(土)】
最終日です。今までの疲れを取るためにゆっくりと過ごしました。
夕方の便でチェンマイ~バンコク~関西と帰路に着きました。

2011年夏の国境訪問報告会を実施いたします。
日程や会場につきましては決まり次第ご案内いたします。

2011年8月18日木曜日

BRCJ2011年夏タイ・ビルマ国境訪問 Vol.7

BRCJ2011年夏タイ・ビルマ国境訪問 Vol.7
【8月18日(木)】
メラキャンプへ
SVAの図書館横まで車で入り、商店街を通りKWO事務所へ。
キャンプの友人が待ってくれていました。前回支援したIDPの支援報告と写真を受け取りました。
第8保育園、シリサンダ学校を見学し、キャンプを見下ろせるパゴダへ。
メラキャンプの変化は年2回の訪問では追いつかないほど速いです。新しい発見がたくさんありました。


(2010年度第三国定住者からの報告(写真と手紙))

2011年8月17日水曜日

BRCJ2011年夏タイ・ビルマ国境訪問 Vol.6

BRCJ2011年夏タイ・ビルマ国境訪問 Vol.6
【8月17日(水)】
今日はメーソットのニューブラッドスクールとパラミスクールを午前中に見学しました。
ニューブラッドでは高校生が案内役をしてくれました。



パラミは自治労大阪が支援している学校です。建物は立派で、設備も整っていました。
午後にAAPP(政治囚支援組織)に行きました。ボーチーさんともお会いできました。ツアーの初めての方に博物館を見てもらいました。

フェアートレードの店、ボーダーラインとWEAVEに行きました。どちらも趣のある素敵なお店です。大阪にこんなお店ができたらいいなといつも思います。
メータオクリニックにボランティアで来られている歯科医のA先生と、SVAのスタッフの方、MMTと一緒に夕食を食べました。A先生は東京で開業されていますが、年に4回、こちらのクリニックで診療されます。今回からは移民労働者の子どもたちの学校でも診療されるそうです。

2011年8月16日火曜日

BRCJ2011年夏タイ・ビルマ国境訪問 Vol.5

BRCJ2011年夏タイ・ビルマ国境訪問 Vol.5
【8月16日(火)】
ウンパンからヌポへの道のりは2時間半かかりました。
途中からは舗装した道がなくなり、でこぼこ道になります。車の中で何度も頭をぶつけました。


IDPと孤児の寄宿舎に向かいました。子どもたちは学校に行っていたので会えませんでしたが、お世話をしている方にお話を伺いました。寄宿舎の周りはきれいに植物が植えられていて、キャンプの中の1番きれいな寄宿舎に選ばれたそうです。

次に向かったのがSVAの図書館です。初めての参加者が、熱心にメモを取られていました。
1時半にキャンプを出ました。途中、道が悪く、メーソットに着いたのが8時でした。


2011年8月15日月曜日

BRCJ2011年夏タイ・ビルマ国境訪問 Vol.4

BRCJ2011年夏タイ・ビルマ国境訪問 Vol.4
【8月15日(月)】
ウンピャンマイキャンプへ。
山道を2時間進み到着。

KWOの事務所で、ボニョさんや他のスタッフに会い、お話を伺いました。
3月の訪問では悪天候で、他の場所を見学できませんでしたが今回は山の上のお寺とメータオクリニックの孤児の寄宿舎に行きました。
孤児たちには次回にギターとボールを届けることを約束しました。
帰路、大雨で道路が浸水している個所があり、しばらく立往生しましたが難なく通過できました。


メーソットのKWOで同行してくれるポウルー(仮名)は20歳のかわいらしい女性です。
キャンプ訪問の間、キャンプの案内とカレン語の通訳を務めてくれます。
一見するとわからないのですが、彼女の右足は義足です。
11歳の時に、隣の村にある学校へ行く途中に地雷を踏んだそうです。
「今日は様子がおかしいから、学校は休んだほうがいいよ。」というお母さんの言葉をきかずに、家を出た後のことでした。
2000年にメラキャンプに一人で来て、寄宿生活をしながら高校生のレベルを終了しました。
両親はカレン州のコートレイの近くで、今も農業をしながら生活しています。
両親とは連絡は取れますが、それ以来会っていません。バンコクに出稼ぎに行っているお兄さんや弟にも会えません。メーソットから出られないからです。
KWOのメンバーになった後、第三国定住でアメリカに行ける機会がありました。
しかし、お母さんが止めたので、今度はアメリカ行きをやめました。
ポウルーの話を聞いて、勉強したいという彼女の望みを何とかかなえてやることができないかと心から思いました。

2011年8月14日日曜日

BRCJ2011年夏タイ・ビルマ国境訪問 Vol.3

BRCJ2011年夏タイ・ビルマ国境訪問 Vol.3
【8月13日(土)】
サンクラブリ7時出発、メーソット到着が午後6時。長い距離の移動でした。



【8月14日(日)】
8月の満月の日、カレンのリスト・タイイングの祭りの日です。
出発前から、この日を楽しみにしていました。

バナナともち米とバナナの葉を掌に載せて、木綿の糸を相手の幸せを祈りながら手首に巻いてもらいます。お互いの幸せを祈りながら、糸を巻きあう姿はとても美しいです。

国境は今も閉じたままです。しかし、モエイ川を渡る手段として、雨季はオートが行きかっていました。
タイヤチューブは15バーツでしたが、ボートは20バーツかかるそうです。

昼食後、市場で長靴を買って、スカイブルー・スクールとゴミ捨て場に行きました。日曜日なので寄宿している生徒35人だけがいました。普段は143人が勉強しています。

学校を後にし、ゴミ捨て場へ。雨は降っていませんが、地面はぬかるんでいて、足首までの長靴では、泥が靴の中にはいってきそうでした。においもきつかった。

ミンスイさんの家族と再会し、お話を聞きました。家族がみんな健康そうで安心しました。

SAW(Social Action of Women)の子どもたちに会いに行きました。私たちの到着を待ってくれていたようで、にぎやかな出迎えを受けました。手遊びや、身体を使った遊びをみんなでしました。

マウンマウンティンにメータオクリニックのツアーをしてもらいました。外科病棟で27日前に地雷で足を失った男性患者(43歳)の話を聞きました。カレン州で、仕事に行く途中に地雷を踏んだそうです。兵士でもない、一般の人が地雷の犠牲者になるというのが、国境の現状です。義足の研修室でも大きなボードに地雷犠牲者のリストが書かれていて、それが毎日、数人ずついるということに驚きました。この現状は絶対、日本の人に知ってもらいたいと思います。

メータオクリニックのシンシア先生と1時間、お話を伺うことができました。いつも冷静で、たくさん降りかかってくる困難にも動じることなく対応される姿に敬服します。

2011年8月12日金曜日

BRCJ2011年夏タイ・ビルマ国境訪問 Vol.2

BRCJ2011年夏タイ・ビルマ国境訪問 Vol.2
【8月12日(金)】
今日はタイ王国の王妃のお誕生日、タイの母の日で、予定していたバンドンヤンキャンプ訪問は取りやめになりました。

午前はスリー・パゴダ・パス(ビルマ側はパヤートンズ)に行きました。

国境のゲートは開いていて、多くのビルマ人がタイ側のマーケットへ買い物に来ていました。私たちもビルマ側に一歩踏み込んだところ、案の定、監視員から手招きされ、慌ててタイ側に戻りました。ビルマ人は自由に出入りできるようですが、タイ人、外国人は駄目だそうです。

そのあと、モンの寺院と仏塔に行き、ビルマの民主化を祈りました。

午後はセイフ・ハウスに行きました。サンクラブリの町から車で45分ほど国境側へ向かいます。

ポルルさん、TBBCのファーさんからお話を伺いました。
どんな逆境に生きる人もそれに手を差し伸べてくれる人々がいることは本当に素晴らしいと思います。
モン女性組織にも立ち寄りました。
若い女性が目的意識を持ち頑張っていました。元気をもらいました。

2011年8月11日木曜日

BRCJ2011年夏タイ・ビルマ国境訪問 Vol.1

BRCJ2011年夏タイ・ビルマ国境訪問 Vol.1
【8月10日(水)】
BRCJの2011年夏国境ツアーが始まりました。
今回は、20日まで、サンクラブリ、メーソット、チェンマイを訪問します。


【8月11日(木)】
朝7時半にバンコクを出発し、カンチャナブリを経由してサンクラブリに2時過ぎに着きました。
3年ぶりのサンクラブリ訪問です。



Weaving For Women (WFW)のデイジーと再会し、日本から持ってきた古着を預けました。
WFWの機織り作業を見学し、その後モンのグループを訪問しました。
モンの人権状況を伺い、たくさん考えさせられる場面がありました。